みなさまこんにちは。
本日もサイトにお越しくださり
ありがとうございます。
嬉しく思います♪
本日は「許す」ということについて
海外ドラマで興味深いシーンがありましたので
つれづれに投稿させていただきます。
登場人物の50代くらいの男性の警官の話です。
彼は幼少期に
父親が家を出て行ってしまったようで
お母さんの苦労を目の当たりにしてきました。
そんな父親の仕打ちが許せず
お互いに全くの疎遠
絶縁状態になっていたところ
突然、父親が和解にやってきます。
父親は息子(警官)に拒絶されても
和解を諦めません。
諦めずに何度も何度も
彼と向き合おうとバーで待ち伏せまでする父親に
彼は「父親を許せない」
という気持ちに苛まれます。
そんなとき その様子をずっと見ていた
バーを経営している女性の一言が
彼の心を軽くしてあげるんですね。
「お母さんは傷ついたでしょうね」
「(お母さんが)生きていたら
帰郷した夫に怒ったはず」
「だけど あなたはチャンスをあげたら?」
「彼(父親)は本当に努力しているわよ」
すると警官は
(父が自分に歩み寄っていることは)
「わかってる」
「和解したい気持ちはあるんだ」
「でもヤツに”許す価値”があるか?」
バーの女主人「ないかもね」
「でも”許す”ことで、”あなたが楽になるなら”
彼の価値は関係ないわ」
このシーンから思ったのは
「他人軸」になって物事を考えなくてもいい
ということです。
50代の警官は「父親」を軸にして
「こんな父親、許す価値があるのか」と
苦しみましたが
バーの主人が言ったように
「自分」を軸にして
「許す」ことで「自分が楽になる」なら
「彼の価値は関係ない」
興味深いシーンでした。
もう一歩深く洞察すると
警官の心には父親に対する「怒り」があって
その「怒り」の奥には
置いて行かれてしまった「悲しみ」が
あったかもしれません。
「怒り」は
生きるためのエネルギーともいわれています。
警官は父親が去ってしまった
「悲しみ」を「怒り」に変えて
これまで頑張ってきたのかもしれません。
「許せたとき」
これらの感情が一気に昇華して軽くなるというか
手放されていくというのでしょうか。
「許す」ことが難しいければ難しいほど
「許せたとき」の感情の解放・身軽さ・楽さは
半端ないのかもしれない と思いました。
本日もつれづれ投稿にお付き合いくださって
ありがとうございます♪
佐藤ますみ 拝