みなさまこんにちは。
本日もサイトにお越しくださり
ありがとうございます。
嬉しく思います♪
本日の投稿は感情について
フラワーレメディ(お花のエッセンス)の
セラピストの視点で考えたことを
つれづれに投稿させていただきます。
先月の勉強会でのことです。
「(楽しい)感情をめいっぱい味わいたい」
「感情が味わえないなんてつまらない」
という話になり
「めいっぱい味わう」
ということはその逆の感情
「苦しいときの感情」も
めいっぱい味わう・・・
ことになるのではという話になりました。
感情を振り子に例えると
大きく振れた分だけ反対側へも大きく振れる
といった感じで
「楽しいこと」が大きい分
「苦しいこと」も大きく感じられる
ということでしょうか。
そして
「苦しい感情を味わいたくない」のであれば
振り子の振れ幅を小さくしていくことが
良いのではないでしょうかと
そのような話になりました。
なんだか私はこの話題が出たとき
理屈的にはわかるのだけれど
なんだかしっくりこなくて
なんでしっくりこないのか
自分でもよくわかりませんでした。
つまるところ選択は自由意志なので
別に感情の振れ幅を小さくしようとしても
しなくてもよいのですが・・
たとえば
「愛情」を例に考えてみました。
「愛情」が大きいほど
それが「憎しみ」の感情に変わった時
「激しい憎しみ」になる
ですがこれは「愛情」という感情の中に
「愛」でなはないもの
「相手へ期待していること」や
「自分の考える”愛”の在り方」
「価値観」などが
相手によって裏切られたように感じて
その期待値や考えが強かった分
反動として
「怒り」や「憎しみ」が湧いてくる
のかなと思います。
この点で考えてみると
感情の振れ幅を小さくすることよりも
自分の中で気づかずに作り上げてきた
「○○はこうするべきだ」とか
「○○であるべきだ」
「なんで○○してくれないのか」(依存や期待)
といった前提をひっくり返すというか
自分の気持ちを楽にするために転換する
「○○ということもあるんだ」と
変化させていけばよいのでは と
思い始めました。
感受性が豊かであることは
個性だと思いますが
確かに 豊かな分、傷つきやすかったり
人よりも敏感で
他の人が気にも留めないようなことが
気になったりすることもあると思います。
特に 音楽・絵画・デザインなど
クリエイティビティ関係のお仕事の方は
感受性が豊かで
脳がキャッチする情報量が多くて
情報整理が大変だから
「あえて見ないようにしている」
という方もおられます。
感受性が豊かであることは
生きにくいときがあるかもしれませんが
それ自体は素敵なギフトだと感じます。
苦しい時
「どうして○○の状態が苦しいのか」
を考えると おそらくは
自分を苦しめている「前提」があるはずで
その「前提」を見つけて解放していけば
良いのかもしれません。
「苦しみ」はなくならないかもしれませんが
自分を縛ってきた「前提」が
見つかったときには気づきがあって
感じ方・とらえ方を
変えていけるかもしれません。
なんだかとりとめのない
投稿になってしまいました。汗
ですが勉強会のおかげでこうして
考えることができてよかったです。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます♪
佐藤ますみ 拝