みなさまこんにちは。
本日もサイトにご訪問くださり
ありがとうございます。嬉
昨夜の深夜1時2時ころでしょうか。
自宅の室内までもが
一瞬にして照らされるような
まぶしい閃光が
ピカッ ピカッ
と走ったと思ったら
天が落ちるかのような
土砂降りが どどーっと
はじまりました。
その猛烈な勢いと激しい雨音に
恐怖を感じ
それからは寝室に電気をつけて
むくっと起き上がって
外をみたり 情報を収集していました。
と同時に 今回の大雨で
たくさんの方が
このような恐怖・これ以上の恐怖
を感じられていることを思い
自然の猛威を感じました。
さいわいにも
豪雨はおさまり
自宅近くの河川の氾濫警報も
解除になりました。
このときに
なんだか自分が生かされているような
そんな心地がし
それからひと眠りしましたものの
ふと起きたら寝汗でびっしょり・・
自分でびっくりしてしまいました。
みなさまのお住まいの地域は
いかがでしたでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたが
本日は
ネイティブアメリカンの方たちの生死観が
日本と似ていることについて
投稿したいと思います。
都内ではお盆は
7月13日から16日・7月の半ばなのですが
先日不思議な夢をみました。
もう15年以上前に亡くなられた
お友達のお父様が夢に出てこられました。
お父様は終始笑顔でいらっしゃいました。
不思議なこともあるものだなぁ
と思い ふと
「あ、そうか、お盆だ」と思いだし
お友達のお父様やご先祖様を思い
手を合わせてお線香をたきました。
私たちはあの世のことを
「彼岸」といい
それに対する対義語のように
この世のことを
「此岸(しがん)」といっています。
こちら側の岸辺とあちら側の岸辺
真ん中にあるのは
「三途の川」といわれています。
ネイティブアメリカンの方たちは
人は「最後の呼吸」を迎えたあと
「グレイトリバー」
(偉大なる川)を渡って
クリエイター(創造主)のもとへ向かう
と考えています。
あの世とこの世の境目が「川」
と考えるところが日本の仏教と似ています。
そしてネイティブの皆さんは
死ぬことについては
死は終わりではなく
「変化」であり
エネルギーの形が変わるだけだと
私たちは永遠のものだと
心で感じているんです。
私たちは
今という瞬間
この世にいてこうして呼吸をして
肉体をもって存在していますが
そうして
「最後の呼吸」を終えたら
「彼岸」あちら側へむかう
私たちはどこから来たのか を考えると
あちら側から来て
この世に生まれてきたのであるとするならば
生まれ変わりとか輪廻とか言われていますが
私たちは「此岸」と「彼岸」を
行ったり来たりしているということ
なのかも知れません。
物質社会を必死に生きていると
こういったことに重きを置けなくて
忘れてしまいがちですが
あちら側とこちらは別々のように思えても
つながっているんだ
今この世にはいなくて目には見えず
存在を感じることもできないけれども
あちら側には
懐かしい方々がいるんだ
つながっているんだ といった感覚を
忘れないでいたいものだなって思います。
本日も最後までお読みいただき
ありがとうございます。
佐藤ますみ 拝